社伝に、永禄八年(1565)京都祇園社(八坂神社)牛頭天王の御分霊を勧請して天王宮を創建し、酒田内町に鎮座したとあり、別当を文殊院(現宮司家)と称す。
慶長年中(1596~1615)に至り米屋町組山王堂町に奉遷。爾来幾多の変遷を経て、宝暦四年(1754)に浜畑町植林事業に携わるため今の床浦神社(現・御成町)の地に移り、まもなく外野町(現相生町)開発成就祈願のために現社地に移遷された。その間、領主酒井氏の崇敬篤く度々祈願のことありとも伝えられている。
明治二年八雲神社と改称。同四十二年境内社稲荷神社を合祀。昭和五年現社殿を造営、昭和六年神饌幣帛料供進神社に指定される。
昭和五十七年より二ケ年に亘る社殿改築造営工事を完成。昭和六十一年には昭和天皇陛下御在位六十年記念事業として、氏子崇敬者多数の御奉賛を仰ぎ、大鳥居の再建と北門を新設した。
また、平成二年に参集殿を新設、同十三年には狛犬一対を奉納された。同二十一年本殿御屋根葺き替え工事、同二十五年拝殿御屋根葺き替え工事を遂行、ヤマタノヲロチ退治の彫刻を備えた壮麗な御社殿となった。
毎年正月十五日より三日間の星祭大祭では、年初の家内安全・身体堅固・厄除・諸願成就を祈願する流れ大祈祷が斎行され、多数の参拝祈願がある。
古来より天王宮には瓜科の実をお供えして無病息災を祈願したと伝えられているが、当社も、例大祭には各自キウリをお供えし、そのお下がりを家庭で食すと一年間無病息災に過ごせるという風習が現在も続いている。例年多数の市民の崇敬を受け、通称「キウリ天王様」と親しまれている。
八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣作る その八重垣を
やくもたつ いづもやへがき つまごみに やへがきつくる そのやへがきを
当社主祭神、素盞鳴命(スサノヲノミコト)が人々に災いをなす八岐大蛇(ヤマタノヲロチ)を退治して、奇稲田姫命(クシナダヒメノミコト)を妃として迎える時に詠まれた歌。
【訳】 雲が群がり立つほどの大きな出雲の国の宮殿
妻と暮らしていくために 幾重にも垣根を廻らし 大きな宮殿を作るのだ
「八雲立つ」は「出雲」の枕詞。雲が立つのは勢いのある意。讃め詞。「八重垣」は幾重にも廻らす垣根で、「妻籠みに」は結婚の意。雲が沸き立つほどの大きな宮殿を作り、幾重にも垣根を廻らして(あなたを大事するので)一緒に暮らそうという意味。結婚の時に新築する家の寿ぎの歌。古事記に記載されている我が国最初の和歌と云われている。当社名の「八雲」は、この歌に因んだものと伝えられる。
御祭神 素盞鳴命 奇稲田姫命 倉稲魂命
境内社 山神神社
祭典日
元旦祭 一月一日
星 祭 一月十五日、十六日、十七日
例大祭 七月十四日、十五日
月並祭 毎月一日